こんにちは、おてらぶ部長のひさよしです。 今回の大報恩寺ブログは、おかめさんの功徳について学んでみましょう。 おかめさんは、特徴的なお顔をしています。御世辞にも美人とはいえない、どこかユーモラスなお顔で表現されることの多い女性です。ずっと気になっていたのですが、なぜあんな顔をしているのでしょうか。今回も、大報恩寺のご住職に、詳しく聞いてみました。 おかめさんのお顔に隠された、夫婦・家族円満のヒミツご住職がおっしゃるには、おかめさんの顔には、いろんな教えが詰まっているのだそうです。ぽっこりおでこも、極端に小さなおちょぼ口も、すべてに意味があるのだそう。そういわれてみれば、どのおかめさんも、デザインは違いますが、共通点はあります。そこで、その共通点を挙げた上で、どういう意味があるのかをひも解いて見ましょう! 1.前に出たおでこは、驕りの気持ちを持たないためにおかめさんは、おでこがぐっと前に突き出ています。なので無理に上を見ようとしても、なかなか見ることができません。これは、むやみやたらに自分の存在を上げてしまうと、見下すことにもつながるという警告なのだそうです。成長するために上を目指すというのはよいかもしれませんが、人を見下すために自分を必要以上に他者より上に据えてコミュニケーションするのは、やはりよくないことなのでしょう。 2.下がった目じりは、笑いあうためにおかめさんのめは細く、目じりが垂れています。それもかなり極端に。これは夫婦の間には、笑うことが大事であることを説いているといいます。どんなに苦しいことがあっても、夫婦は笑いあえる関係性であり続ける。たしかに大事なことかもしれませんね。 3.ぷっくりほっぺは、両親を大事にするためにおかめさんのほっぺは、おでこと同じくらい前に出ています。これは父親、母親を表しているといいます。何をおいても親の存在はありがたい。それを忘れてはいけないということだそうです。 4.小さく、へこんだ鼻は、自分の謙虚さのためにおかめさんの鼻はほっぺより低いです。これは自分を表しているのだそう。両親より後ろにいて、まずは親をたてる。両親あっての自分であることを忘れないようにという意味があるのだそうです。 5.小さい口は、大切なことは口に出すためにおかめさんのユニークさを際立たせている要因のひとつが、このおちょぼ口。小さい、とにかく小さいです。これはぜったいに「口は災いの元」ですよね。と、思っていたのですが、実は違うようです。むしろ逆で、小さな口でとてもしゃべりづらいが、夫婦間の中では、何でも口をつぐむのではなく、時には言いにくいことも、しっかりと口に出すように。という意味なのだそう。
深い、、深いですよ、おかめさん! おかめさんの存在がどんどん、尊くなっていく気がします。 大報恩寺展では、おかめちゃんが広報担当をしています。Twitterでいろんなことを紹介してくれているので、ぜひ一度見に行ってくださいね。 あー、おかめちゃんグッズ、大報恩寺展で出ないかな~。 こんにちは、おてらぶ部長のひさよしです。 前回のブログに引き続き、千本釈迦堂こと大報恩寺のヒミツについてレポートしていきます! おかめさんの発祥の地が、この大報恩寺であるということは、前回の記事でも触れましたが本当なのでしょうか。「発祥」や「元祖」というと諸説ありのお話が多いので、本当のところどうなのか大報恩寺のご住職に、直接お聞きしてみました。 おかめさん、悲劇の物語おかめさん発祥の由来は大報恩寺のお堂を建てる時代までさかのぼります。 時は貞応二年(1223)、義空上人が大報恩寺の本堂を建てることを決め、長井飛騨守高次(ながいひだのかみ たかつぐ)という棟梁にその工事を任せることにしました。高次管理の下、工事は順調に進んでいたそうですが、途中で、本堂を支える柱の一本を誤って短く切ってしまったのだそうです。大変なことになったと悩んでいたところ、高次の妻である阿亀(おかめ)が...... 「それなら、いっそ全ての柱を短く切りそろえて、柱の頂上に枡組(ますぐみ)をつけて調整をしたら?」 と助言をしたのだそうです。高次はその助言によって、無事に上棟式を迎えることができました。 ナイスアイデア!おかめさん、思った以上に主役級ストーリーです。大報恩寺誕生のキーマンでした。しかしこのお話は、めでたしめでたしでは終わらなかったようです。 当時、お寺建立の棟梁をするということは、かなり名誉なことで相当な倍率での争奪戦でした。晴れてその任についた棟梁は、羨望のまなざしを受けることもあれば、妬みの対象になることもあったそうです。 さらに、大工の世界は相当な男性社会。そのことを知っていたおかめさんは、女の助言でお寺を立てたということが知れてしまったら、夫の御世が傷ついてしまう。そう考えて、なんと上棟式を迎える前に自害してしまったのです!義空上人は大報恩寺の境内に塚を建てておかめさんを供養したといわれています。 えっ? なんで? おかめさーん!! そこまで夫を支え、想い、行動を起こすことができるおかめさん。今の世では考えれないほどの献身です。 このことがあり、大報恩寺から生まれた「おかめ招福信仰」が江戸中期頃から全国に広まったといわれています。今も大報恩寺は「良縁・子授け・夫婦円満」などのご縁があるといわれています。 すごい、すごいです、おかめさん! がぜんおかめさんファンになってしまいました。大報恩寺展のパンフレットに載っている、広報担当おかめちゃんにも手を合わせたくなります! よく見てみると、このアンニュイな表情も、またかわいいじゃないですか~。 ちなみに先ほどからちょくちょく出てきています、いろんなおかめさん人形は、全国から大宝おんじに祈願成就の御礼として奉納された、おかめさんの人形たちです。たくさん奉納されているので、ぜひ見に行ってみてくださいね。おもしろいデザインの人形もたくさんありますよ。
さて、次回のブログでは、おかめさんの顔のヒミツに迫ってみたいと思います。お楽しみに! こんにちは、おてらぶ部長のひさよしです。 今年の秋、10月2日より東京国立博物館で開催されます『京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ』のグッズの一部を、おてらぶがお手伝いさせていただけることになりました。 大報恩寺といえば、六観音、釈迦十大弟子、大根炊き!(100%趣味な紹介ですみません;) 今回もふだん使いできて、かつ! ふだん見たことの無いようなグッズをいくつか作らせていただきますので、ご期待くださいね。今回のブログでは大報恩寺にうかがわせていただいたときの様子を少しだけお届けいたします♪ 千本釈迦堂の名で親しまれる京都の名刹大報恩寺は、鎌倉時代の1220年に義空上人によって発願された真言宗智山派のお寺です。京都では千本釈迦堂という名前で古くから親しまれています。なんで千本?釈迦堂?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんので簡単に説明しますと、まずひとつは大報恩寺がある場所が京都の南北を横断する"千本通り"の近くであるということ。もうひとつは貴族から庶民まで多くの人々からの信仰を集めた"釈迦信仰"の中心地が大報恩寺のある地域であったことが由来だといわれています。 地元の人々の信仰心から、お寺の本当の名前を超えた"愛称"がつくというのは、なんだかあたたかいエピソードですよね。 戦火から逃れつづけた奇跡のお堂『京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ』プレスリリースパンフレットより あまり知られていないかもしれませんが(知っていたらごめんなさい!)大報恩寺の本堂は、京都市内最古の木造建築として国宝指定されています。 その歴史は古く、京都を戦乱の渦に巻き込んだ、あの「応仁の乱」をはじめ、さまざまな戦火を免れ続けてきました。大報恩寺の縁起についてご住職に面白いエピソードをお聞きすることができました。 大報恩寺は、幾度となる戦火を免れたとはいえ小さな被害はいくつかあり、その被害申告書を役所へ提出することになりました。その際に本堂をしらべていたところ、本堂下に無数の穴が開いていたのだそうです。実はそれらはすべてキツネの巣であったそうで、御稲荷さまの守護があったのでは、と感謝の意味をこめて「火防稲荷(ひぶせいなり)」としてお堂を建て、祀っているのだそう。なんともロマンのあるお話ですね~。 おかめさん発祥のお寺おかめさんをみなさんご存知だと思いますが、実はこの大報恩寺がおかめさん発祥の地なのです。境内を見渡してみると、おかめさんらしき銅像や「阿亀桜(おかめざくら)」と立て札の立っているひときわ立派な桜の木がありました。
おかめさんって「阿亀さん」だったんですね......。 次回は、おかめさんのエピソードとそのヒミツについて紹介したいと思います! 千本釈迦堂 大報恩寺 〒602-8319 京都府京都市上京区 七本松通今出川上ル 電話:075-461-5973 拝観時間 9:00〜17:00 |
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