こんにちは、おてらぶのひさよしです。今回の「教えてホトケ先生!」は、中平了悟(なかひらりょうご)さん。中平さんは、兵庫県は尼崎にあるお寺、西正寺のお坊さんです。前回の記事にもありました「カリー寺」を藤本さんとともに開催するだけでなく、ある活動に力を入れていらっしゃいます。それが「テラハ。」いったいどんな活動なのでしょうか。 お寺で話すこと「テラハ。」ひさ:それでは前回にひきつづきよろしくお願いします。お寺でのカレーイベントにかける想いをたっぷりお聞きしましたが、お二人が考えるお寺での場作りとして、もうひとつ代表的な活動がありますよね。 中平:「テラハ。」ですね。社会や家族、地域、人生などいろいろな問題や疑問についてお寺を場として語り合えたらと思い、始めました。 ひさ:今年に入ってからスタートしたイベントのようですが、すでにもう2回行っているのですね。第1回は、地域について。そして第2回にはLGBT※について。お寺で、LGBTという「性」の問題を扱うというのは、なかなか珍しいことだと思いますが......。 ※LGBTとは、レズビアン(L)、ゲイ(G)バイセクシュアル(B)トランスジェンダー(T)の頭文字で、性的マイノリティ(少数派)を示す総称です。 中平:そうですね、確かにお寺で扱うには、珍しいテーマかもしれません。しかし社会でLGBTについて認知が進んできているということ、そして人の生きづらさや尊厳に関わる大切な問題だとおもい、以前から語り合う場を持ちたいと思っていたテーマでした。 気づきと出会いひさ:でも、なぜ中平さんがLGBTをテーマにして語り合うイベントをお寺で開催することになったのですか? 中平:「テラハ」の語り合うというスタイルは、第1回の時に、藤本さんがスピーカーとして来て、方向付けをしてくれて、できあがりました。LGBTというテーマには、私の個人的な問題意識がありました。数年前、大学の担当していた講義で、ひとりの学生が欠席届を私のもとに持ってきました。そこには「性同一性障害の治療のために授業を欠席します」と書かれていて、それを見た瞬間、平然を装えばいいのだろうか、驚いた方がいいのだろうか、とても戸惑ってしまいました。 その場はとにかく、「授業内容でわからないことがあれば教えるから聞きに来てね。」と伝えました。その後、その学生も無事に講義を受けて単位を取得しましたが、私の中でその日の出来事がずっと頭に残っていました。自分はどうするのがよかったんだろうかと。 そんな時に、LGBTについて調査・講演活動をされている、虹色ダイバーシティ※代表の村木さんという方とお会いするきっかけがあって、LGBTを取り巻く現状を聞きました。また自分で本を読むなど学びを進める中で、これは宗教者が取り組むべきことなのではないか、と思うようになりました。 ※「虹色ダイバーシティ」とは、LGBTなどの性的マイノリティ(少数者)が働ける職場づくりを通じて、性的マイノリティとその支援者(アライ)のエンパワーメント、性的マイノリティが暮らしやすい社会づくりを目指して活動するNPO法人です。 お寺から言うべきことひさ:なぜ、宗教者がやるべきだと思うようになったのですか? 中平: よく、そうでない方に比べて、LGBTの方の自死のリスクは数倍あるといわれます。既存の「男」・「女」と二分された性別には居場所がないのですね。「男でも女でもない」、「同性が好きになるって、自分は異常ではないか」「居てはいけないんじゃないか」と。そうでなくても思春期や自分が形成されてくる中では、自分は人と違うのではないか、と思いがちになりますよね。そのような状況で、社会の側にまったく自分の居場所が用意されていないため、より一層深刻な状況におかれる。 ひさ:数倍。そんなになのですか! 中平:自分の存在が社会のどこにも用意されていないように感じるんですね。「男でもない、女でもない」、「自分はいてはいけない存在なのだ」とさえ思うような苦悩があります。その中で、生きづらさ、苦悩を抱えて「自死」を選択をされることがある。 そんな中でも、「"男"もでなく、"女"でもなく、私は私」、「他のだれでもない、わたしはわたし」と、自分を認めていくことができるというケースがあるといいます。これって実は、仏教が法話等を通して、ずっと言ってきたことなんですよね。「他のだれでもない、あなたは、あなたなんだ。」、「他の誰でもない、かけがえのない唯一の「あなたの人生」をあなたは生きているのだ」と。なのに、仏教がまだLGBTのことについて、なにもしていないのは、おかしいのではないかと感じていました。 ひさ:教育者としての気づきと、仏教的な教えにリンクするものを感じたのですね。 LGBTを取り巻く環境中平:また、仏教者として、宗教者としての視点からコミットしていく必要もあるのではないかと思っています。 ひさ:といいますと? 中平:海外ではLGBT問題をサプライヤー基準、つまり取引相手を選ぶ基準としてされているケースも多くあります。「男女差別や人種差別をする企業とは取引できない、というのは当然ですよね。LGBTへの取り組みも、それと同じように、取り組みをしていないところは、取引相手としてふさわしくないとされるのです。そうすると海外に支社のある企業では日本の本社へ対応が求められるということがあります。 あるいは、LGBT関連の市場が国内だけでも6兆円はあると言われています。そのニーズがモチベーションとなって、企業が取り組みを進める。あるいは、そもそも、5~6%の当事者がいる、そんなに多いのか!?って取り組みが進められる。 その結果、社会が変わっていく。当事者にとってはまちがいなく良いことです。でも、市場規模が大きいから見逃せないとか、たくさん当事者がいるからやらなきゃ、だけだと、それって、実は経済的な都合がモチベーションになっていたり、「マイノリティ」じゃなくて意外と「メジャリティ」だぞ、「プレゼンスがあるぞ」ってことがモチベーションになっているんじゃないかって思うんです。 誤解の無いようにくりかえし言いますが、それで社会がよくなっていくのは良いことだと思います。しかし、一方で本当に、人権や、生きづらさを抱える人のことを考えるなら、経済的なモチベーションや、その問題のプレゼンスだけではなく、例え一人であっても、生きづらさを感じている人がいる、苦しんでいる人がいる、ということに目を向けて、じゃあ自分はどうするのか、どう考えるのかという問いもあるべきではないかと思うのです。そこは「宗教者」が宗教的な「視点」、「価値」を発信するべき部分が残されているのではないかと思うのです。 ひさ:なるほど。 中平:「テラハ。」は、当初思っていた以上に、おもしろい、刺激的な場になりました。みんなが集って話し合う中で、そこで自分の中にも、社会の中にも、新しい発見や結びつきができるんですね。LGBTをテーマにした回でも、参加者同士で語り合う中で「LGBTの方がいたはずなのに、見えていなかった自分に気づいた」という声や、「当事者として、社会にこんなに前向きに受け止めてくれる人がいると知って勇気づけられた」という声がありました。その場で終わってしまうだけではなく、本当に「なにかここから始まるんじゃないか」という空気が、毎回あるんですね。 ひさ:「テラハ。」に参加された人たちからの、次回への期待や、実際にその声もあるのではないですか? 中平:そうですね。そういう声をたくさん頂いています。なにより続けることが大事ですね。テーマは違っても「テラハ。」という形を続けていきたいと思っています。 教えて!ホトケ先生 No.06
中平了悟(なかひら りょうご) 1977年 兵庫県尼崎市生まれ。 西正寺僧侶。 浄土真宗本願寺派総合研究所で研究員(非常勤)として10年間勤務。 2015年4月から龍谷大学文学部実習助手。 お寺の本堂を会場にした「西正寺寄席」や「テラからはじまるこれからの、ハナシ」などを実施している。 |
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