ふと見ると、井戸がいろんなところにあるのです。 尾道・久保地区を歩いていて、ずっと気になってました。 初めに気づいたのは、どこだったんだろう……路地をぐるぐるしているときに蓋をした大きな四角い井戸が、「敬神」「護国」と刻まれた門の中に大切にまつられ(?)ていて、由緒のある大切な井戸なのかな?と思ったのです。 後から知ったのですが、尾道は井戸の街だったのですねええ。 路地の内(奥?)に、数件の家が集まる真ん中に共同井戸(と思う……)があったりします。今も生きて使われているものもたくさんあり、2018年の豪雨災害で尾道全域が断水した際には、これらの井戸がみんなの生活をつないだそうです。 先に訪れた「浄泉寺」のご住職にも、境内の井戸を皆さんに開放されていたと伺っていたことを思い出しました。 このほそーい路地。ずんずんと進むと、ぽっかり開けた一角に出ます。 表通りからは想像もつかない広場なのです。 「水尾井」 水尾町の名前のもととなった井戸だと伺いました。 そして、写真の左、路地の突き当りは「熊野神社」です。 水尾通りを歩きながらずっと気になっていた「水祭り」の謎もここで解けることになります。 水祭り 気になっていたのです。「水祭り」の貼り紙。「水祭り」って何?! この熊野神社の氏子さんたちにより続けられた、江戸時代からの歴史を持った水芸・水細工のお祭、尾道の夏の風物詩だったのですねええ。 戦時中に途絶えていたものを、30年前に地元で復活させた素晴らしい歴史を持っています。 時事ネタやテーマに沿った場面を表現した人形の指先や口から噴水が出るなど、細工人形が並ぶお祭。毎年7月の第3土曜日に開かれます。 ↓下は、取材後改めて訪れた今年の「水祭り」の様子。 「延命井」 正念寺の境内にある「延命井」。地蔵堂に安置されている延命地蔵尊へのお供えの水としていることから、井戸にお名前が付いたのかなあ。尾道随一の名水と聞きます。 浄泉寺のご住職が、子どもの頃遊び場にしていたという境内に案内してくださいました。 で、案内していただいた「道」があまりにもマニアックで大興奮しました。 絶対に地元の人しか通らないよねええ、しかも子どもの頃使ってた道ですよねええ!? な細道なのです。こんなに細くて、曲がりくねった細道をぐんぐん進みます。 最下段右の写真……どこに人がいるかわかります? そこ、壁の隙間じゃないの? な道が続いています。探検隊みたいな道行でした。そして、盛大に蚊に刺されました。 かんざし燈籠 井戸の番外編^^ 寺旅6でご紹介した「キャッスルロック」「オルタナ」ふたつのお店のすぐそば、八坂神社の鳥居に並んで大きな「かんざし」形の燈籠があります。 さらに並んで大きな銀杏の木と井戸。この場所には悲しい物語がありました。 江戸時代、芝居小屋のお茶子に恋をした豪商の若旦那がいらしたそうです。娘を家族に紹介したものの、「『かんざし』ひとつ飾らぬ、みすぼらしい娘は嫁に迎えられない」と反対されてしまうのです。悲しんだ娘は大銀杏の下の井戸にが身を投げてしまい、以来「『かんざし』をください」と幽霊が出るようになったのだそうです。これを哀れに思った人たちが、お金を出し合って大銀杏の横に奉納した『かんざし』形の燈籠が、この燈籠の由来といいます。 昔から、人々の生活の中に息づいてきた尾道の井戸と水。
歩いていて、ふと惹かれてしまうのは命が吹き込まれ、存在感があるからなのかもしれないなと、振り返って思ったりしました。 偶然気になってシャッター切った風景は、並べて眺めると不思議に語り始めます。 どうしても「水」の回を作りたくなったのです。 さて、いよいよ次回その10で一旦この「尾道 寺旅」は最終回となります。 旅から2ヵ月^^; 長い旅になっちゃってます。 |
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